広告を生業にしている身ではありますが...

時々、ここにたむろする安易さが、嫌になるんですよね(微苦笑)

デザインというか広告について1年で最もいろいろ考えざるを得なくなる3日間が昨日で終わりました。
毎年、その後には何かしらここで書いてます。
いっぱい考えるので、少し、言いたくなることがあるんです。
そう言ってもここ数年はどうも書いていなかったようだけど。

何かを作り出すことが安易になっている、気がする。
それが時々すごく嫌です。

作り出すことに罪はない。無いと思いたい。

いや、でも、思ってしまう。

------ ソレ、本当に、要るの?

ホームページって簡単に作れるんでしょ。
チラシってすぐに作れるんでしょ。
ロゴってすぐに作れるんでしょ。

そりゃ、アイデアが湧いて、多少の時間があれば作れますよ。
訂正、そんなことやっぱりない、作っている人はとっても大変な思いをしているというのを理解してほしい。
ものすごく労力がかかる。「好きなことやってるんだから」で済ませないです。

でも、作れるから「作っていい」ってことありますかね?


ちょっと前は、そうでもなかったんじゃ無いかなあ。
何か作るにもいろんな人に頼ま無いといけなくて、
プリントとかコピーひとつ自社とか自宅でやるのが難しかったのって、
そんなに昔じゃ無いと思うの。

その時には、こんなん作るのに労力かけられないよ、ってなってたものが、
今では安易に作られる。

ネットははじめっから状況があんまりよくないかもしんない。
嘘とか正しく無いこととか裏が取れて無いようなことも一気に拡散しちゃう。
いま、SNSとかを使ってて「それ本当なの?」って思うことがいっくらでも回ってくるし、
友達とか知り合いが平気でいいね!とかシェアしてて、えー、ちょっと待ってよ・・・・って思うこともある。

ソレは広告と関係無いじゃん、って、思う?

でも、広告ってメディア自身だったりメディアに属するものでしょ?
だから、リテラシーって大事でしょ?

メディアリテラシーの考えは、内田樹さんが本で書いてたことにすごく感銘を受けた。
受信した情報に対して評価する能力でなく、発信する情報を評価する能力。
広告にだってそれがあってほしい。
プロダクトにだってそれがあってほしい。
メディアって、テレビとか新聞とか雑誌とかだけじゃない。
商品だってある意味媒体(=メディア)でしょ。

安易に作り出して広めて消費する、要らないモノになってく。
そういうやり方にほとほと嫌気がさしてきていて。
世の中そういうモノを望む人と作る人ばーっかりなんだったらもう、
やってらんないなー、とさえ思っている。

商品でも広告でもなんでも、それがいらなくなってゴミになる瞬間までの責任を取るってぐらいになってほしい。
そう願うから自分の仕事だってそうあるべきだなって思うし、それが大変なことぐらい鬱になりたくなるぐらい自覚してます。
方法だってまだわかんないよ。やってみるしかないし。
キレイ事って言われちゃうんだろうなって思うけど、それを目指して何が悪い。

ホームページとかデータなら実体がないからまだ罪は軽い?とかは全く思ってない。
ネット上に散らばるデータを維持するためにどれぐらいのエネルギー(だってサーバー死んだら全て終わるものだもの)とか労力がその裏にあるんだとか思ったら笑えませんよ。
物理的に存在しているものの方が燃やしたら終わり、とかできちゃう分だけいいこともあるぐらいかもしんない。

考えすぎですかねえ。。。。。

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