穴を埋めるのは本能だとしても
ゴリラは、穴が空いていたら埋めたいと思うんだろうか。
全き円になっていないと、なんだか気持ちが悪かったり、
欠けているものを見ると埋めたくなったり、しませんか。
私は、するなー、と思ったんです。
C-Labo.のロゴを発想した時、Cの部分は、実は視力検査のあの形なのだけど、全き輪にならないちょっとかけた形、とも見えた。
それが気持ち悪いと思うかどうかはまた別の話か。気持ち悪い、というのは言葉が強いかな。
落ち着かない。
欠けたところがないことを好む傾向があるように思う。ヒトには?
少なくとも私には。
そもそも何を考えていたかというと、欠如感を植えつけ、それを満たすためには「これを買うといいよ」的なことで、商品を売ったり、買ったり、するのかなあ、と考えていて。
かけている、ということを感じると、埋めたい、というのは本能なのかなあ、と。
満たされていたい欲求。
それの条件に、購買があるのかしら。
必要なものしか要らない、と、思いながら、不要そうなものを手にしてしまう。
身の丈に合った生活ってなんだろうな、とか、考えたのです。
欠如感て、ともすれば、無限に見出せそうだなあ、って、思って。
不在の証明・・・いや、それとは違うけど。
満足する、って、なんなのかな。
吾唯足るを知るっていうのはうまい言葉遊びだなあ、と思っていたけど。
ない、を埋めるのは、「ある」だけだろうか。
Cの間を埋めたら、Cじゃなくなる。
ああ、そうだ、あの絵本、「ぼくを探しに」あれもそんな話じゃなかったかな。
たとえ欠けたままでも、必ずしも埋める必要はないのではないか。
穴を埋めるのは本能だとしても。
八雲が7つまでしか描かれないことで永遠性を得る。
・・・・・っていう例えは大げさか。
「これでいい感じなんですよ」
欠けていることにも、理由があったりするかもしれない。
自分が知らないだけかもしれない。
「見えないことが、「無い」ということとは違いますから。」