断捨離実行?

まだ若干捨て切った感がないのでハテナマークで。
しやしかし、床が全面見えているのは久しぶりだねえ(おい)
ええ、言ったら引かれるぐらいの間掃除してませんでしたのことよ。
断捨離本に影響されているのは否めないのだけど、口に出したら「やっぱりそうだよなー」と思ったことをちょっと書き留めておく。

自分が快適に生活していくために必要なものは、実はほんのわずか。
あたしの荷物の中で特に多いと言えるのは本と小物だけど、気に入っているものって実はそんなに多くない。いつも近くに置いて、眺めて使って大事にしたいもの、そして必要なもの、いくつあるかなあ。
巷にはものがあふれていて、気にも留めずにいると、どんどん細々したいろんなものが家にたまっていく。出来るだけ持ち込まないように、と意識してないとどんどん捨てなきゃ行けないものが増えていくなあ、と思う。
おかあちゃんとも、「モノって簡単じゃない」よね、と話した。質量をもち空間を占有するものは簡単じゃない。作り出すこともそうだけど、それを管理することも同じ。おかあちゃんは織をしていて、年1回作品展をするのだが、「会場を埋めないといけないから、って作ることがしんどい。本当に織りたいものだけを織るようにしたいわ」とこぼしていた。東福寺野の工房には、売れ残りの作品がたくさんあって、それも整理しなきゃなんて言ってる。
モノがありすぎるから整理とか分類とか収納とか考えないといけなくて、本当に自分が必要なものだけを持っているのだったら、本来そういう煩わしさもないんだろうなあ、と思う。
空間を占有することはないけど、情報も同じかなーって、考えた。
なんか、あれよね、人より多くモノを知ってなきゃ、とか新しいモノを知ってないと置いていかれるとか競争に勝てないとか、追い立てられるように毎日情報とばっかりにらめっこしてると、あれ自分は何をしたいんだっけ?ってことを見落とす気がする。
商売するのに新しいものを作り出すことが必要だ!とかいって、新しいことばっかり探してみたって形になる訳ないし。それよりも、自分が望む自分の生き方をするためにこれが必要だから作り出す、という方がなんか、まっすぐな気がするわけで。だって本来モノの進化ってそういうことだったんじゃないの?情報を得ることが目的になって、もともと何をしなきゃいけなかったのか分からなくなるなんて本末転倒。
でも多分それが今のあたし。
と、いうか、もともとなんか疑問に思ったら知りたいが先行して突っ走るからそうなるのだろうけど。

今自分に何が必要なのか?己を見失わないためにも問いかけ続けていきたいねえ。

Monthly 2011.03

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