『知ろうとすること。』を読む。

最初に。
この文章は、あくまでメモであって、本に対する書評や紹介のための文章ではないのです。
内容が気になる方は実際に本を買って読んでくださいませ。
ただし私は、読んで損したと思う本について、このメモを書くことはありません。

少なくとも「知ろうとする」行動を起こさない限り、
本当のことは知り得ないと思った。

受動的に得たものだけが「全て」で「真実」かどうか、
知性をまっとうに使って判断して、
自分が何を言うべきか、するべきか「選ぶ」ことが必要。

同じく、今『街場の教育論』を読んでいて。
メディアリテラシーと聴き手に対する敬意、というくだりで、

「自分が今発信しつつある情報」に対して適切な判断が下せるかどうか

というテキストを目にした。どきっとした。
メディアに報じられることに対して、「本当かな」と疑うことや頭から信じず吟味しようと思う気持ちに対して、
自分が発信することに対する評価に比較的無関心だったからだ。
人間は他人の言うことはそんなに軽々には信じないくせに、「自分がいったん口にした話」はどれほど不合理でも信じようと努力する不思議な生き物

これは強い呪縛だという。確かに・・・・・。
で、あるならば、言おう。「次に自分が言おうとしていること」の「真偽」「重要性」「適所性」に注意を向けなければいけない。
「聴き手に対する敬意」というのが、具体的にどんなことなのか、自分が正確に理解しているのかわからないのだけど。
・騙したり、けなしたりしない
・「どうせわからないだろう」と軽んじない
・相手を傷つけようとしない
ということなのかな、と思う。そこへ加えて
・この話は相手にとって必要かどうか(重要性)
・ここでその話をすべきかどうか(適所性)
ということなのかな・・・。

なんとなく。
私は、どうしても、自分のしたいようにしか行動しなかったり、言いたいようにしか話さなかったり、しているので、
そういう風にしてきたための、たくさんの弊害を今、まとめて受け取っているような気になることばかり、
周りで起きてしまっている。
そろそろ、省みて、まっとうにやんなさいと、言われているのかなあ、と思うことしばしば。

自分が変わらなければ、世界は変わらないのだろう。

Monthly 2014.12


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