苦言ではなく
単なる事実認識の確認と思ってほしい。誰かや何かを批判する意思があって書くのではないと最初に言っておきたい。
なんだか久しぶりに「人と会った」日でした。
会社でも人には会うのだが、会っているというか、顔を合わせているだけというか、多分当たり前すぎて感覚がなれてしまっているのか。
ただもうちょっと話がしたかった。ごはん食べたりカラオケしたり、楽しかった。
CoCo Marcheに、例によって一人で出かけて、あれこれ買い物して、帰ってきて没頭してものを作っていると、無心だということを思い返す。
最近ツイッターでばかり自分のことを話しているせいか、思考までもが断片的になっているのを感じる。いまも、本当は布団に潜って一言二言つぶやいて終わりにしてしまおうと思ったけど、起きてこうやってキーボードを叩いている。
これも必要なこと。
そういえば最近ものを書いていない。物語を思い浮かべることは少なくないのだけど、何度も同じところをなぞっているようで。
止まったままのかけらの更新もそんなわけで。
やりたいことをやる時間がないと、言い訳にしてしまっているような気もしている。すべてが仕事が忙しいせいだと。
たぶん、そうじゃない。
ただ一方で、心のままに動いていることも確かだ。仕事を頑張りたいのもうそじゃない。作り物や書き物をしたいのも。しかしどれもが中途半端だ。
分かっているのは、このままじゃ駄目だ、と考えていることよりも、実際に何か行動すること。
今日も、結局それが良かったわけで。多分。
得ようと思えば情報は容易く手に入るけれど、それだって行動を起こしてではないと、やっぱり必要なものは得られないと感じている。
問題なのは「何」を求めているか、明確に意識できていないこと。けれど、案外あとになって分かるものかもしれない。
とにかく集めていってあとで見返すときに、ああこういうことかと納得するような。ただやっぱりそれだと無駄が多いのかな。
なにか、イメージで言うと、よけいなものがいっぱいついていて本来の機能を妨げるような感じ。切り裂いて進むためにあるナイフによけいな装飾をつけて、人目を引く個性的なものになっていても、本来の切る役割が鈍るような。
センスは磨かれてなんぼ、ナイフは良く切れるのが役割のように。
鈍らせてはいけない、とかく何かを言い訳にして研ぐことができないなんぞ言っていてはいけないのだ。
Monthly 2011.05
←『シアター!2』を読む|その他
|衝動って→
↑Page top|
Blog top|アーカイブ