『街場の文体論』を読む
例によって、ちゃんと読もう、と思っていたのに、急ぎ足で読んでしまって、
結果あまり内容を飲み込めていないという、いつもの事態になってしまいました。
反省したいと思います。
続きには思ったことメモを書くとしてその前に。
最初だけ少し読んで、しばらく触れられなかったのは、自分が「書く」ことをしているときの、
独善的な、自分のためにだけ書いている、本当に「分かって」欲しいとは思っていない「感じ」を、
ざっくり斬られたような気がして、何となく背筋が寒い思いと、これから読み進める間もずっと、
針のむしろに座る気分かしら、と思ったからでした。
実際にはそんなことは無かったのですが。
(いや....途中何度もちくりちくりと刺される感じはありましたが)
呟いたけど、書いておく。
関係ないけど、ミシマ社のロゴマークはいつ見てもヤラレターって思う。
目にすると、どんなに不機嫌な時でも、思わずぷっと笑ってしまうからw
他者への敬意が、僕の中では形骸化している。全部とは言わないけど...
受け取る恩義が大きすぎて、気が引けるのは、多分、もらうばかりで与えていないから。
贈与、について、やっぱりちゃんともっと考えないと行けない。
自分には対したことは出来ない、を言い訳にして、何もしないことを正当化しているようでは、
多分これ以上が目指せない。
とはいえ、出来ることしか出来ないのだけれど、
そもそも「出来ない」と思うことをやめることが「出来ない」呪縛みたいなものから、
本気になって抜け出さないとあかんなあとか。
と、同時に、出来ることをちゃんと見極めることも。
他者との仮想的な同一化という言葉が書かれていて、ああ、これがとにかく苦手だな、
とか改めて思う。人の気持ちがわからない。沿うことが出来ない。
なんかいつも違うプロセスをたどっている気がする。
これもまだうまく説明出来ない。
メタ・メッセージという用語を目にして、『絵画の自意識』を思い出した。
単に「メタ」繋がりなのだけど、多分。
でも何か、同じことを、語っていたような気がして。
またちょっと、読み返したいのと、フェルメールとか、テル・ボルフの絵が見たい。
Monthly 2012.11
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