だいじなもの
パソコントラブルから数日。
データ管理の甘さを痛感しつつ、思うこと様々。
思ったより、やれてしまっているんです、実際は。。。。
先週の土曜日にMacbookがカリカリ音を立ててフリーズ。
その後再起動するも立ち上がらず、手は尽くすも、結局HDDが物理故障。
HDDをSSDに取り替えてもらって、PC自体は月曜日に復帰。
故障したHDDからデータが取り出せるかどうかは今調査してもらっている最中。
もともと写真や素材データは外付けHDDに入れていたので無事だったし、
7月頃か手動バックアップをとっていたので、かろうじて何とかなっている。
それに、だいじなものって意外と頭に入ってたりするんだよな、って。
パソコン壊れたかも!と家で大騒ぎをしていて、その日の夕食時に母が、
「大事なのにそんなに壊れやすくていいの?」と、ひとこと。
いやごもっとも。複製が簡単なんだから、コピーをたくさん作っておいて、
ひとつが壊れても大丈夫って言う風にできるんだけど(やってなかったけど)ね、と
解説しながらなんだか変な気分。
さらに、「自分の腕一つで仕事してるからね」とも。
考えてその手や指で「何か」を作り出す母からしてみれば、私の仕事は「わからない」そうで。
そこへ優劣までつけないでよね、と思うのだけど、言いながら自己矛盾を感じている自分自身も自覚している。
自分が普段扱っているもの、飯の種にしているものの、なんというか、頼りなさじゃないけど、
水物っていうか、不確かさというか....。なんかそういうのを感じ取って少し、ほんのちょっと虚しくなっている。
とりとめはないし、そういうこと考えている場合じゃないのも理解しているけれど。
とかなんとか思っていたら、TEDの番組で「Connected, but alone?」をみた。
バックアップの話とは関係ないけど、今の自分がおかれている状況とか、最近気になることとか、
するっと言葉に表現されていて、また考え込んだ。
テクノロジーを使って、何をするのか。根本を問われる気になったんだよ。
それから、自分自身はちゃんとテクノロジーを道具として使えているだろうかとか。
だいじなものはなんだ。それをどう扱うんだ。
既に失ってしまったものにはもうこだわらないけど、これからを、今、描かなきゃいけない気がしてるんだ。
Monthly 2012.12
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