失敗したと感じている君へ
センター試験が、週末にありましたね。
受験で人生のすべてが決まる訳ではないけれど、
壁にぶつかった人もいるんだろうなあ、と感じながら。
いや、そのときそのときの選択で、人生が決まっていくのは確かだから、
受験も大きな分かれ道になることは否定できない。
ただ、その選択で「自分の思う通りの結果ではない」ことに、
こだわる必要は無いんじゃないかと思うから、
こんなことを口にしてみている。
結果的にどんな人生を歩むかなんて、結果でしかないんだから、
きれいに描いた通りの道を通らなくたって、良いじゃないのさ。
やりそこなうこと。目的を果たせないこと。予期した効果をあげられないこと。しくじり。
成功の反対語。
失敗を辞書で引くとそんなことが書いてある。
日本の社会は、しくじると立て直すのが、わりと大変な構造であると言われている。
誰もがそれを感じ取って、だから、失敗しないようにさせないようにって手を打つ。
失敗したらその手からすべてがこぼれると、みんな思っている。
だから、失敗はとても怖い。
失敗するぐらいなら、挑戦しない、冒険しない。そんな風にすら思うのかもしれない。
でも、多分、半分ぐらいは、思い込まされている。
失敗は、悔しい。
失って、敗れて、なんて、全然良いことない感じだよね。
誰だって成功したい。失敗なんかしたくない。
でも、誰かが勝てば負ける人がいるように、成功し続けることはとてもとても難しいことだ。
誰もが必ず失敗を経験する。そのひとつに今君は出会っているんだと思う。
成功するにこしたことは、もちろんないけど、でも、失敗だって、本当は悪くないよ。
挑戦に対する結果であって、挑戦した事実は消えない。
失敗したことがつらくてしんどく思ったら、その自分を俯瞰してみるといい。
空間的にも、時間的にも。
今同じこのときに同じようにうつむく人のことを思うこと。
ずっと未来の自分が自分を振り返っているときのことを空想すること。
きっと励ましているだろう?
大丈夫だと、できることをまたひとつずつ積み上げていけば良いと、思えるだろう。
今日今このとき、顔を上げられなくても、明日はきっと大丈夫になる。
悔しさを見つめて、非力を悔いて、その思いを全部ごまかさずに投げずに感じきったら、
あとは寝てしまって、明るい明日を待てば良い。