いいものだけが残っている
以前シンポジウムで聞いた青柳氏の公演の「ピナコテック」のくだりを思い出しながら、いいものだけが残る、ということを考えてた。
美術館や博物館に保存されている「昔のもの」は、あらゆる時代の「選別の目」をうけて、残されてきているものなんだなあ、と。
「昔のものなのに今の人が見ても美しく、優れて見える」っていう感覚があるでしょ。
そのものがここへたどり着くまでに、「捨てるか」「残すか」の選択を、
常に「残す」方に選ばれてきてここにある。
その力が作品にあるから今ここにあるということなんだなって。
それがすごく貴重だってことが分かる。
もちろん好き嫌いはあるけど。
古いもので残っているものにはそれなりのわけがあるし、
それを大事にしてきた人があるってことであって。
単に「価値がある」「値打ちがある」ってことじゃあないよって思う。
歴史的・資料的価値、というものが、美術としての価値の「善し・悪し」と合致はしないと思うけど。
「捨てるか」「残すか」の選択にあうとき、少なくとも「他より優れたところがある」と認められて残っているのだろうし。
なので、ある程度昔の「美術」に関するある一定の「リスペクト」は、私の中で有無を言わせぬもの。
古かろうが、ぼろぼろだろうが、「残っている」ことに敬意を払う。
ところが、これが同時代の、いわゆる「アート」には通用出来なくてですねえ・・・・(苦笑
100年後どれっくらいのものが「残って」いるかなあ、とか考えても、分からないし。
昔よりも材料とか保存方法とか進化していて「残す」選択が気軽に出来るし。
(半面「捨てる」選択も気軽に出来るので、そもそもものの価値って何だってハナシだ)
そんなことを考えていたら夜が空けてしまった・・・・。
美術館に、行きたいです。西洋美術館行きたいー。