自分に内在する力全てを使ってみること、への憧れ

ものすごく抽象的なことになるのだけれど、
そして恐ろしくとりとめのない話だけれど。

頭の先から手の先つま先まで全てに神経がちゃんと行き届いていることを感じる必要もないまま、
日々を送って行けてしまうので、なんとなくそれが、もの足りたいというわけじゃないけれど。

自分の中にある感覚全てを呼び起こして何かをすることへの憧れがある。

職人になりたいと、思ったことがあるんだ。
イメージするのは伝統工芸やら、工場の職人で、機械や道具を使っていながらもそれが、
数値を打ち込んでどうこうというわけじゃなくて、自分の感覚と体で操るようなもの。

スポーツ選手でもいいかな。リアルに筋力という力を使って何かの目的を達成するような。
バレエとか、ダンスとか、お芝居とかそういうものも体を使って、
神経を自分の体に行き渡らせてひとつの形を仕上げて行くものとすれば似ているかもしれない。

陶芸家がろくろを回しながら、滑らかに繊細な形を整えていくとき、
指先の感触、目、ろくろを回す足、作りたい形のメージ、
自分の感覚や体への意識を総動員して何かひとつの形を作ること。

そういうのが日常になることに憧れがある。

とはいえ実はそういう意識で生活を振り返ると、体を正しく使おうなんて言う場面は
いくらでもあって。
家事ひとつとって見ても、突き詰めて行けばそこに、何となく自分の求める物が、
あるような気もしないでもない。(どっちだ)

どうも時々自分のやっていることがそういうことから遠く感じることが多くて。
触れているのはキーボードとマウスぐらいだし、見ているのはディスプレイ。
その中の色の違いなんて実はあんまり意味を持っていなくて、
感覚だのセンスだの言ってみたところで、いや、大事です、すごい大事ですけど。
何となくいまいち、おっつかない。自分の未熟さ故だろうけど。

だからなんか、この瞬間にも、自分の仕事に関わることで、
自分の感覚をフルに使ってものを作る瞬間を増やしたいなあ、
とか、考えるわけです。

キーボードとマウスを操っての作業で、出来上がったものは所詮データじゃねえかと思いつつ、
でもそのなかに何かをこめることが出来るならいいなあとか。

そんなお話。

ヒトはもっと高いところに行けると信じたいんだぜ。

Monthly 2012.06

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