『原発と祈り』を読む

対談形式の本。1時間強でがーっと読んだ。
原発と鎮魂、ゴジラとかショッカーとか、ぱらっと目次を見た時のあれ?って思う感じが、
本文を読んでいくとものすごくハマってておもしろい。
なじみのあるキーワードだからなんとなくすっと入ってくる。

著者のひとり、内田さんの『呪いの時代』を読んだとき
私はキョンシーみたいなものを想像したけど、ショッカーも確かに、そんな感じだな、と、思ったりして。

呪いの言葉は確実に機能する、と聞いてから、ツイッターを見るのが少し怖くなった。
この感覚を共有できるといいのに、って思う。

祈ることをやめていたかもしれない。
それは多分、大事なものが少なくなったからだと思う。
大事にしたいと思うことが少なくなっているからだと思う。

ずっと逃れられない生き辛さって言うのは、この本で言うところの何かに自分の心が居着いていて、
体も外的状況もなにもかもが変化しているのに、
そこに自分の心がついていないからだろうと思う。
だから大事に出来ないし、その心も続かない。

捕われているものが何なのか。
今までそんなにしんどい思いをしてきたわけではないし、
辛い経験があるわけでもないくせに。
弱い振りをしているんだろうか、傷つきたくないって言う思いひとつが、
不安にさせるんだろうか。

案外大丈夫だよ、お前。

からっとそんな風に、言って、自分の背中を押したい。
このもやもやもいつか越えて行けるんだろうって、信じてあげたい。

Monthly 2012.06

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