てんてん手鞠
母に連れられ、宇奈月のセレネ美術館へ。
知人?の手鞠作家さんの作品展(合同かも)が、セレネ美術館のカフェの前で行われていて。
「手鞠見に行くよ!」と言われてからずっと「あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ...」の
手鞠歌が頭から離れなかったのだけど。
そう言えば、手鞠って、女の子のイメージだな、と思っていたら、会場に行って解決した。
写真を撮ってくるのをうっかり忘れてしまったのだが、
手鞠は、嫁いだ娘が、お盆や正月に里帰りした際に、お土産に渡していたそうなのだ。
娘の数だけでなく、近所に配る分も含めて作ったということが書かれている資料が
会場の説明書きに引用されていて、初めて知った。
そこにも書いてあったが、近代では手鞠の代わりにゴムのボールが渡されるようになったとか。
母が、そういえば女の子用の、かわいい柄のゴムボールがあったのは、これの名残か、と納得していた。
母が「以前、手鞠の柄の設計図を見せてもらったことがあったけど、複雑で、全然分からなかった。あれから、実際の作品が作れるからすごいと思う」と話してくれた。
球に隙間なく、しかも繰り返しで、破綻なく柄を敷き詰める、というのは、確かに複雑。
それでもいくつか決まったパターンが見て取れて、それも面白かった。
サッカーボールのように、正五角形と正六角形を組み合わせたものがあって、ほー、と思ったり。
写真は五角形と三角形を組み合わせたもの、これの比率が逆になったものもあった。
美しいなと思ったのが菊の模様(写真撮り忘れ...)。手鞠の柄は、菊に始まり、菊に終わると書かれていた。
1点から半球を覆うように模様の花が開くよう。見とれました。
手ぬぐいをランナーにした飾り方なんかも、上品で、テーマごとに工夫もあって、
ほんの小さなスペースだったけど、見応えがありました。
こういう、手技を極めていくことへ、それが正しく伝わっていくことへの関心が、自分の中にあって。
昔は、何も特別なことじゃなく、得手不得手は多少あったとしても、普通に女の人達が、もうちょっと凝ってないものだったかもしれないけど、作っていたもののはずで。どんな様子だったんだろうな。どこやらの娘さんは凝った手鞠を作るらしいとか、あの人は毎年変わったのを作るとか、こそっと評判になって、作り方を伝えたり、また新しい方法が生まれたりとか...それが積み重なって、パターンとかが生まれて、今に至っているんだろうな、とか。思ったり。
これからどう伝わっていって、どんな発展をするんだろうとか、考えたりとか。
Monthly 2012.10
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