『シアター!』を読む
司さん、良い!!好き、ってゆうかこういう人欲しい!
いろんなことを考えた。ふわふわ駄目弟としっかり者の兄。と言うことよりも、んー、芸術家タイプの人間と経営・営業タイプの人間とがタッグを組むと最強なんだよ、みたいな印象。
このことに関しては、結構思うことがあるんですよ。
会社でも制作を担っている人、企画営業を担っている人、と役割が別れています。作る人はどちらかというと作るだけ、企画営業の人は作ることはしない。それぞれがそれぞれの都合で意見が対立することが割にある。
制作する人、それを企画して売る人、両方いないと成り立たないのはよく分っている。
ただし、愛があれば、だ(何がだ)。司さんがいいな〜と思うのは、まあ、自分の利益のためではあるのだが、弟に対しての愛情があるから厳しいことを言う面。作るものに対しても何となく愛がある。
それが欠けてしまったら、上手くいくはずがないんだ!ということ。
制作者は作るものに対しての、ま、多少の差はあれど、愛とこだわりを。営業さんが客先に持っていっても胸を張れるようなものを作れ、そして企画営業をする人は、自分の売る物に愛とこだわり持って欲しい。自分たちの仲間が作るものは良いものなんだとそれを信じられるレベルの制作物を求め、それが叶えられたなら我が子を売り込むつもりで決して安く売りたたいてくれるなよ、と。
とかくアーティストは金銭勘定が下手だという。それは、金を基準にものを作っているわけではないからだ。1万円の仕事だから1万円のデザインになります、とか言うのだって許容はされない。(それはそれで腹立たしいのだが)
というか、アートはアーティストが値段を付けるものではない、市場価値に依らざるを得ないしね。
デザインはアートとは違う。確かにそうだが、デザーンにとってアート的であり、アーティスト的であることが無用だとも思わない。使い方次第だし、ある意味手法のひとつとして否定されるものではない(が、社内では軽視される傾向も否めない。それが私は悔しい。アートが内世界なんかあり得ないと思う。分ろうともしないまま否定するのはやめてくれ)が、価値判断が難しいから敬遠してるだけでは一生気がつかない。その価値に。
そんなふうに頭から否定し合っているような雰囲気の中にいると、いっそ守銭奴として徹底している司さんのような存在が欲しくてたまらない。儲けを出すための徹底した無駄排除に制作指揮。そこに理解と弟への愛と、作る側にいる人たちへの賞賛と批判。まあ、本人は当然のことを当然と言って実行しているだけで、私はどちらかというと自堕落とかだらしない方の経営に馴れてしまっているのでそう感じるのだろうけれど。今の自分に徹底的に無駄を省いてハッパかけてくれる人が欲しい。こないだまでは甘えたい気持ちでいっぱいだったが、それではどうやら、自分は生きていけないらしい。けなされケツ叩かれて走って、そんで信念もって作ったものが褒めてもらえるのが無情に嬉しい。
とかまあ、なんだかいろんな物思いをさせられる作品でした。とても面白かったです。
この作品も舞台になったら面白いんでないかな。
Monthly 2010.02
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