『神様のパズル』を読む

何というか、本や推理小説を読んでいてよく思うのは、細かいトリックとか小難しい理論とかを、具体的にイメージ出来なくても先に読み進められるのは一種の能力かなと。良いか悪いかと言えば、どちらかと言えば悪いのかも。
こんな事を書くと、「だから文系は」とかむかつく事を言われかねないかなあ、と思いつつ。
『神様のパズル』
分ったような気になる、っていうのが自分の悪い癖の一つなのは自覚しているんだけれども、この本に関しちゃ、その悪癖を駆使しないと、いちいち立ち止まって、読み進められたものではないなあ、と思う。
いや、悪く言っている訳でなく、単に物理学を一回も習った事のない人間故の分らなさなんだけれど。

以下、ネタバレ注意!!

じゃあ、宇宙を作る事が可能かどうかという事が分ったところで、それを作る技術が出来たところで、はいじゃあ、と言って作ってみる訳にはいかない。
ただ、本書を読む中でふむふむと思ったのは、ものの本質、たとえば、光とは何か、エネルギーとは何か、時間とは何か・・・そういう根源的な問いが宇宙創世の謎に迫る鍵だったり、あと、タイトルにあるように、宇宙の誕生を「誰か」の行いとして、その思考を推理するというやり方、科学者が神を持ち出すのかよ、と正直思ったけど、昔読んだ本でもそれを為した人の存在を仮定してたなあと、宗教的な面もあるのかもしれないが、思い出してふ〜んと思う。
多分、物理を勉強していると、そういうものの存在を思わず仮定したくなるものなんだろう。あまりによく出来ているから。
物理の事はよく判らないが、原理とか法則とか、数式になっているととてもシンプルで美しいものがあるなあ、と思う。意味は全然分らないけど。
そういうものが目の前に与えられた時、それを自分に与えたより大きな存在を考えてしまうんじゃないかな。
科学や宇宙創世の話を描きながら、他方で農業に従事するひとの姿が描かれている。農家に生まれて農家になるしかないと、その他のものになる発想さえないという状況で日々田んぼに向き合う人。それを虚しい、不自由、と考える反面、ではサラリーマンがどれだけ充実していてどれだけ自由なのか、と。自分で自分の食い扶持を探して選んで生きるのが全てか?
多分、どれだけ自分の生に真正面に立ち向かえるか、それが価値の違いなんだろうと思う。そんな事まで本書に書いてあった訳ではないですが。
結局、人間がずっと欲しがっているのは「自分とは何か」に対する答えなんだろうなあ、と。

Monthly 2008.08

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