お久しぶりです
お盆の間に、久しぶりに帰省した友人たちと会って飲む。まあ、これも毎年恒例。ただ、参加人数が少し少なかったか。
おそらく、今ぐらいが一番忙しいのかも知れない。高校時代の友人たちのなかではまだ結婚したひとは少なく、ほとんどが関東で仕事をしている。
やがて結婚して子供が出来たら、一年に一度の帰省もなかなか難しくなる、そうなるとさすがに疎遠になっているのかな、と思う反面、同じ時代近い距離で過ごしていたというのは結構強い絆だ。
昔自分が何を考えていたか、今の自分の背景に何があるか、予備知識はそろっているから、大体すぐに会話にのめり込む。
そういう付き合いは非常にありがたいと思う。
そういえば、いつも行っている飲み屋に行くと、下の階は結婚式の二次会、上の階のほとんどを同窓会、店内で唯一余っていた4人席に滑り込みで予約が入れられたらしい。その席に座ったのは初めてだった。天井が近く、鉄骨の梁がかかっていて、なんだか秘密の屋根裏みたいで楽しかった。
ところで、帰省した友人のひとりは172cm+ヒールの長身である。
そこで何が起きたか、想像は難くあるまい。
トイレに行こうと立ち上がり、2,3歩歩いたところで梁に頭をぶつけたのだ。悪いと思ったが笑ってしまった。
そうかとおもえば、そのあと店員さんも頭をぶつけていた。頭上注意の張り紙ではなく、ぶつける事を前提にして、いっそ、同色系のクッションでも張り付けた方が良いだろうと思う。
さて、その席で件の読書家の友人に久しぶりに会った。
話の流れは忘れたが、彼女は「最近の本は100年後も残っているとは思えない」というような事を言っていた。確かに。最近読んでいる本は、どれも面白いと感じるが、それだけかも知れない。100年後にも同じように「面白い」と受け取られるものなのかどうか、あやしい。表面の見栄えや手触りは良いが、中身がスカスカ。
では逆に100年残るものは何なのか、と言われても、しかとは答えられないけれど。
でも、ちょっと前は家電に電話するしかなくて家の人が出ないかめっちゃドキドキしながら恋人に連絡した、という事実のドキドキ感をいかに言葉巧みに語ってみても、いまやケータイを自在に操り、個人と個人のコミュニケーションの形が完全に変化した世代の人間にその「ドキドキ」が伝わるものか、理解されるものか、と考えてみたりね。偏ったたとえだけど。
そうなると、普遍のものを今の時代に求める事が間違っているのかも、とも思う。時代とか、人の流れが速すぎる。
どの年代、とかどこの人だとか、生まれた時代場所に関わらず受け入れられるものが本当に存在にするのかとか。昔美術をやっていた時にも考えていた。そのときは、何かはあると考えていたけど。
それはさておき、そのお店で「どっかで見た事あるひとがいるぞ?」と思いながら隣の「同窓会」グループを眺めていると、高校時代の先輩だった。今は音響系の会社で働いているそうで、名前を聞くと関連が無くもないところだった。二人して「お世話になっております」と頭を下げてから電話番号を交換した。世間は狭いか、どこでどんな人に会うか分らない。
読書家の友人とたくさん話をしていたら、他の二人を完全に置いてきぼりにする形になって叱られた。それほど、話が弾んだ、楽しかった。
今度は正月か、と思いながら、土砂降りの雨の中で別れる。 次の機会まで元気でね。
Monthly 2008.08
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