『哀しい予感』を読む

かなしい、には悲しいと哀しいがあって、ニュアンスが違う事を知ったのはこの本がきっかけだったように記憶している。
当時(今でも)仲の良かった読書家の友達にすすめられて、吉本ばななさんの作品を手に取った。おそらく、中学生のころ。
記憶はあやふやだが、まず最初に読んだのが『哀しい予感』だったように思う。
有名作なので気兼ねなくネタバレするが、ゆきのの破天荒な生活と弥生の家出に、当時、強いあこがれを持った。長い時を一緒に、近くで過ごしたおかげでちょっとした言動や仕草で分り合える弥生と哲生がうらやましいなあ、と思った。

この本を読むと大抵泣く。
どうという事はないのに、何かが入り込んできて涙になる。否、何かが溶け出して涙になるのか。
弥生にはいくつもの不安がある。どれも漠然としたもの、幼い頃の事が思い出せないとか、弟に対する思いとか、ゆきのの事とか。そういう一つひとつの不安やわだかまりみたいなものを、ひとつずつ解決して行く、ほんのりとした切なさに、ひとつずつの安堵があって何となく「良かったね」と思って泣けるのかも知れない。
読むたびに、この話が大好きだった事を思い出す。
中学生ぐらいに読んでいた本の影響は、本当に大きいなと思う。何というか、それを超えるのもが今無い事に、少しだけつまらなさを感じる。大好きだと思わせてくれる本に出会えていないだけなのか、大好きだと思える感覚をなくしてしまっているのか。

Monthly 2008.08

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