逢魔が時
土曜日、平日に片付けられなかった仕事を消化しに出勤した。その帰り道。
西の空が赤く燃えていた。
思わず「火事か!?」とぎょっとするほど。
燃え堕ちるような夕暮れ。
体の、裏っかわのところがザワザワした。
それを紛らわすようにデジカメを持っていなかった事を悔やむ。
駅に向かっていたハンドルを西に向けて切る。そのまま、護国神社の脇を抜けて神通川の護岸に出た。
刻一刻とその色を変えていた空は、一瞬見たはずの朱を失っていた。
残念、と思いながら携帯で撮影する。
いつもとは全く別の道から駅に向かう事にした。逢魔が時に大胆な事だと思う。道を間違ったら戻ってこられないかもな、と冗談で考える。また、さっきと同じところがザワザワした。恐いもの見たさと、冒険心。未知への期待かも知れない。
ところで、通りにはそれぞれ名前がついている。そして、その名前にちなんだ植物が植えられている場合もある。道沿いの街路樹が変化するだけで、道の表情は大きく違う気がした。
いや、夜に向かう薄暗さは、本当の夜よりも視覚を狂わす気がする。日が沈み、けれど暗くなりきらない手前、目が闇に慣れないまま、もしかしたらすれ違う人がのっぺらぼうでも気付かないかも知れない。いちばんい明るい色と、いちばん暗い色の距離が極端に狭い。それでも、人の目は赤い色を赤捉え、白い色を白と捉える。昼間に見た色とは全く違うものであるはずなのに。
道が大して分るわけではなかったので、当てずっぽうだったがなんとか無事に駅に着いた。
電車が走り出すころにはすっかり暗くなっていた。
逢魔が時は大禍(おおまが)時からきているそうです。
Monthly 2008.08
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