共通認識について

澁谷さんのセミナーでも取り上げられていた。表現者とそれを受け取る相手とが共通で持っている認識。
世代が違うと何かに対する「認識」が大きく違う事がある。いわゆるジェネレーションギャップ。また、男女でも差があるだろうし、大きなところで言えば生まれた国が違えば認識はがらりと変わる。
不偏なものなぞ存在しないんじゃないか、と思うほどあるものにたいする「認識」は人それぞれなんじゃないかと思う。
ひとりとして同じ人間が存在しないのと同様に、差異は無数に存在する。
ところで学生時代。美学の講義で話題になったのが、万国共通どんな時代でも通じる「美」は存在しうるか。(そもそも「美」の本質とは何かという話はあまりに長くなるので割愛。していいものか)教授の答えは「存在するはずだ」というもの。その教授はレオナルド研究の人だったので、《モナリザ》や《聖ヨハネ》を取り上げて、延々語っていた記憶。長い間世に残り続けてきた美術作品には、それに誰にでも通じる「美」があったからだという理屈で「誰にでも通じる「美」」の存在証明としたわけで。
ええと、脱線しましたが、共通認識です。

共通認識を探す上で、例えとされたのが初めて出会った相手と自分。その相手と自分の共通の友達がいると相手との距離が飛躍的に縮まる。
そうなるとわかってなきゃいけないのが、「誰に対して伝えるのか」。相手を良く知っておく事。そのうえで、何が通じやすいのか、効果的なのかとか。

って、何を書きたかったのかすっかり忘れてしまったのでまた今度。

Monthly 2008.10

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