事務所のこと
ほぼ第2の家だと思っていますが、さほど頻繁にも出向かない(え)。
事務所として住所を置かせてもらっている場所のことについてちょっと、お話しします。
この場所のことは「山ん家(ち)」と呼んでます。
滑川市の東福寺野という所にあります。景色がとてもきれいです。海抜は200m(父談)ほど。丘の様に急に高くなっているので、周りの景色が見下ろす感じによく見えるのです。雲が目の高さにあるみたい。ああ、あの辺雨降ってそうだね、というのが分かるぐらい。タワー111がみえるがいぜ。
風が吹き上がってくるので、風力発電機を置いたら家で使う分はまかなえるんじゃないかとよく話していた。
この家が建ったのは、私が中学生?ぐらいのとき。はっきり覚えてないぐらい昔。壁材の木材に「くっさー」と言いながらペンキを塗ったり、断熱材を壁の間に入れたり、薪ストーブを置く所にレンガを積んだり、台所周りにタイルを貼ったり。毎週末山ん家に出かけては内装とか外装とか、まさに日曜大工。
そう、出かけるのがたいてい日曜日か土曜日。作業しながらテレビは見られないので、お供はラジオ。FMをずっとかけてて、山下達郎さんの番組がかかってたことを良く覚えてる。中学生ぐらいだったから、曲自体にさほど興味は無かったようだけど(覚えてないし)、もっと知っているJ-POPが聞きたいなと思っていたかも。土曜日だったら、ちょうど帰ってくる時間帯にAVANTIが流れていて、聞き耳よりもジェイクと教授のやり取りや、とりでさんとか南さんの話が面白くて聞いてた記憶。スタンじゃないよ、ジェイクだったよ。
えっと、言葉が足らなかった。山ん家は、大工さんしか作れない所だけを建ててもらって、内装や外装で、自分たちで出来そうな所はコツコツ自分たちでやってたんです。その範囲は結構広く。。。。建て始めて、去年ぐらいになってようやく風呂が付き、数日滞在できるようなレベルになった(笑)。ガスと水道は初期から通っていたから、トイレもあったし、ごはん食べたり一泊するぐらいは問題なかったんだけど。
中学のときと、高校のときと、友達と一緒に自転車で山ん家まで行ったことがあった。安田から上がってくる坂なんか、絶対自転車で上がれない。引いて歩くしか無くって、夏のさなか、汗だくになったことを覚えてる。でも、おとといその坂を自転車で上ってる中学生?の男の子たちを見かけた。私は車だったけど。いや、脱帽です。日に焼けて、鍛えられたきれいな足だったよ(そこかよ)。
大学に行っている間は、1年に一回だけ帰ってくるようなペースで、山ん家にもほとんど近寄ってなかった。その間に荷物はだいぶ増えたよね。父が会社でいらなくなったものを置いたりとか、母が織りを初めて、織り機や引き取った古い布がたくさん。家からも押し入れとか持って行った。
母が織りを初めて、最近では山ん家は母の城みたいになってる。あくまで見たいと言っておく。父の細々した荷物は、あたしも本気で片付けてほしいな。母は山ん家を工房として、ギャラリーとして活用して行くようだ。その一角をあたしが事務所として借りる。写真の壁の奥があたしのスペースになる予定だが、今はまだ父の荷物が多くて落ち着かない。
さて、とうとうと語ってきましたが、ま、どうでも良いことばかりでしたかね。写真は古いものもありますが、ああ、そうそう。建て始めてから時間が経ったんだなあ、と一番実感するのは、家の前のケヤキの木。今でこそ、大人が4、5人上ってもびくともしなさそうと思うけど、建て始めたころは、あたしひとりが上るにもためらうほどの細さだった。腕がまわらなくなったのは大学生のときかな。手が回らなくて上れない感じだ。植物って、すごい。
山ん家はまわりの自然に、本当に圧倒される。いっくらでも伸びてこようとする雑草にしても、ケヤキやカエデの子供たちの強さとか。自分の力なんてちっぽけ、って思う。事務所にはしてるけど、そこに行くと仕事以外のことが気になって、掘っておいたらスナップばっかり撮ってて仕事にならないんだよね。景色を見てほっとしてるだけでも時間が過ぎて行ってしまう。でも、癒されるのかも。
事務所はそんな場所にある。興味のある方はご一報を。いつでもご案内いたします。
案内無しじゃ行けないかも(苦笑)。
こないだいっとうあきれたのが、宅配便のおにーちゃんが「家分からないんですけど」って電話してきたとき!
どう説明しようか、こっちも困ったよ(笑)。
Monthly 2011.09
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