ツイッターあれこれ

気になったツイートやら、ネタを集めてみた。
「音楽は生活必需品じゃないけど、音楽がなかったらとっくに死んでるヒトはたくさんいるはずだ!」
「追いかけてはもらえないような気がしているから、手を離せばたぶんそれまでなんだろうな。約束もなくしがらみもなく、わずかの興味と短くはない時間と多少の共感でなんとなく近くにいると勘違いし続けてきた。どれだけ歩み寄っていたのかさえ今はもうわからない。」
「辛いときに富山弁で「無理しられんな」って言われたら染みます」
「他人からは、公私混同しない人の方が、信頼おけるよ。まず、経営者(会社)に問われる素養の1つ、「誠実」である事。」
あんまり多くもないけど、@でお疲れ、とか入っていると嬉しい。意外と、リアルでは誰も言ってくれないのね・・・。帰ってきたらみんな寝てるし。
そりゃ、気がついてもらえなくて流れていくだけの会話が多いと言えばそうなのだけど。

ネットワークって偉大だ。たとえ地球の裏側にいたって、そのときその瞬間画面見ていたらそれで返信出来ちゃうんだもの。絶対に声の届けられない場所にいても。
ただし、それが全てではあり得ない。お疲れ、の一言が嬉しいことに変わりはないのだけど、目の前にいる誰かに「お疲れさん」と言ってもらえることの価値は変わらずそこにあって、それはものすごく大事なことだと思っている。
ツイッタの価値を減じているのではなく、役割の違い。そして、自分はそのどちらも等分に必要としているというだけのこと。手に触れるぬくもりだって本当に欲しい。それが一時的なものであれ、家庭を持つとか言う意味のものであれ、冗談抜きで、願望が無いわけじゃない。ただ、それを叶える努力をしていないし、なーんかいまいち真剣にそれをそれをするきにならないだけ。ね?
脱線するけど、好きだと思った気持ちに今も一片の偽りもない。抱かれたいとも思ったし一緒に暮らすもありかな、と本気で考えたし。ただし、そのために、相手を振り向かせる努力って言うのが、相変わらず何もほとんど出来ていなかった。いつもそう。分っているのに、何故出来ないと問われても、本当、自分でも分らん。多分、根本的に何かがかけている。一生このまま?と思うのは正直辛いが、まあ、それもまた人生だろう。
だから、twitterというツールを得たこと変わったことは多々あれど、そんなに大きな変換を迫られた気はしていない。
ブログも、インターネットと言うものについてでさえも。あたしを大きく変えてきたとは思えない。
否、影響が全くなかったという意味ではなくて、例えば、ブログをしていなかったとしても、文章を書くこと自体を辞めていたとは思えないとか。それから、先のように基本的な性格、ずぼらで人間関係が苦手で、負けず嫌いのくせに引っ込み思案で、というところが、ネットを得たからと言って変わったわけではない。助長された可能性も否めないが、ただしそんな大きな割合ではない。
唯一今仕事にしていることがウェブに関わることなので、そう言う意味では大きな影響を受けたと言えるか。だが、さほど選択肢が多くなったとも思えないのだ。それとも、それを認識出来ないほど深くに身に染みてしまっているのか。

Monthly 2010.05

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