甘んじて受け入れよう

また保険の書類書けなかった・・・。

仕事始め・・・なのにJR遅れるし。どうやら魚津駅で1時間半以上停車していたようだ。各駅そんな感じだったみたい。動き出したら止まらず進んで助かったけど。
乗った時点で満員状態で足の置き場も無かったのに、駅につく度乗ってこられるので、珍しくすし詰め状態。久しぶりだったので、息苦しかった。具合悪くならなくて良かった。 仕事は、まあ、いつもどおりというか、今週中に納品!とかの急ぎが来たりで、アタフタです。今年もこんな感じか、そうかそうか。

個人的には去年から引っ張っている懸念事項が、多少の進展を見せたものの、まだまだといった呈で...もう泣くことがないといいのだけど。多少の皮肉は我慢するよ。変わるから、強くなるから...。
良いことか悪いことかわからない。でも進もう。 もと通りにはもうならない。

「良いことだって思ってやろう、良かったかは二の次で。
どっちにしたってなんか言われんだ。甘んじて受け入れよう。」
玉置浩二『甘んじて受け入れよう』より



さて、家に帰ってきたら、テレビで「人はもともと良い人か悪い人か?」ということについて考える、と言うことをやってた。
反射的にどっちでもねーだろ、と思ったけど、もうちょっと考えてみた。
良いこととか悪いことって、その場その場で違うじゃん。と思うところがひねくれ者の所以だけど。社会化されていない状態が悪いことなら、初めっから社会化されてる人間は居ないから悪いだろうし、何も知らないことが罪なら初めからすべてを知っているわけが無いからやっぱり悪だな、と風呂の中でぼんやり考えた。
でも番組の中で保母さんが行っていたのが、生まれてくる命に罪は無い、と。これはやっぱり4点響いたーでしょう。
ところで、質問を見たとき思い出したのが、性善説と性悪説。それぞれ孟子と荀子の説いたことですが(調べた、国語便覧で)。詳細忘れたので深くは触れない。
けど、少し。
性悪説では、確か、悪い方へ進まないようにするためには教育が大事、と説いていた、ような。「礼(社会全体の決まり)」によって制す、的な。
性善説、というか孟子の教えで面白いな、と思ったのが「仁(思いやり)義」によって治めるのが理想だが、衣食住が足りていなければ人は礼儀を身につけることはできない、といって経済生活の安定が必要と説いたところ。ごもっとも、と思ってしまった。
良いか悪いかとか、自分で決めるものよりも、あとで判断されてとやかく言われるなら「良いことだと思って」やろう、その結果何を言われても「甘んじ受け入れよう」だろうかね。

Monthly 2010.01

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