病む社会 閉塞感


偉そうなことを言っているけど、あたしだって同じだ。一度の失敗でもうだめだと思い込む。自分が間違ってない、と大声で言うことはできない。
だって、自分の中に信じているものが無い。
それでも諦めてしまうところに行き着かないのは、生きたいからだし、心配だからだ。
責任を取りたくないと思う心に活を入れたい。命をかけて何かをやるぐらいの気概が欲しい。
造り付けていくことを心に誓っている。
その自分の背中が、いつか、誰かを救うんじゃないかと思っている。

秒ヨミ!という番組を見た。取り上げられていたのは、渋谷いる若い子たちを取材してフリーペーパーを発行している夫婦の話。
病みを抱える若い世代。でも、病みを抱えない人なんていないなあ、と思う。
けれど、今それがクローズアップされる意味はなんだろう?
居場所がない。
そういう言葉は昔からあったんだろうか?
ただ、社会が変わったから生きにくいのだろうか。
死にたいと言いながら暮らしていく若者には、本当に夢も希望も与えられないのか。一過性の絶望に過ぎないのか。
何に頼ればいいのか、親は子供に感心が無い、社会は使える人間しか相手にしない。駄目な子、と自分を思い込んだらその子は成長することができない。たった一度の失敗でみんな自分が「駄目なのだ」と思い込む。

Monthly 2010.01

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