Two of Usを聞きながら
普段と追ってくる道をそれ、住宅街をちょっと通って、海沿いの道へ抜ける。
ここなら大声で歌って帰っても誰にも聞かれることも無い。
ビートルズで多分一番最初に覚えた曲。
父の持ってた『LET IT BE』をダビングして、一時期こればっかり聞いていた。
Two Of Us、私たち二人。細かな意味までは精査したことは無い。でもハーモニーと響きと軽やかな曲調が好きでたまらない。we are going home 家に帰るんだ。
We are on the way home.
歌詞もちゃんと見たことないから、うろ覚えだし、聞いた音で覚えているだけ。
昔聴いていたアルバムでは、この出だし、「誰かが誰かとであって物語が始まるよ〜」みたいな、あおり文句?見たいのがはいってた。何言ってるかよく判らない。2、3人の名前を言っているような。
最後でも何か一言二言言っている。
それはさておき。
昨日だか、その前だか、五感を使わないとセンス磨けないよー、みたいなことを言って、触れることが大事な気がする、と言っていたが。。。。
なんていうかか、ものに触れていないと、自分の境界線がわからなくなる気がするの。
周囲を見渡しているだけじゃ、自分がどこにいるかわからない。他人に触れて、触れられて、初めて自分の輪郭が表われるような。ようは、人に引っ付いてたいっていう欲が自分の中にあることに気付いたというわけ。自分の感覚全てを使って人に触れていたいって。ものすごく、セクシャルでもある。
単に人恋しいだけじゃんと言われればそれなのだけど。
ちょっと、インプットが足りない。耳に入ることや、目で見ること、以外のことで心動かしたい。これはもう本当に渇望に近い。美味しいもの食べたいとか。
味わうこと、聞くこと、見ること、いい匂いを嗅ぐこと、それはある程度満たされているけれど、触れる感覚だけはまだまだ足りない。どこまで自分が目覚めることができるのか試してみたい。
そう、どこまで自分の感覚は磨けるものだろう。きっと限りなんか無いはずだ。研ぎ澄ませていくことに、躊躇も理屈も要らない。ただただ「感じる」こと。
ただ同時に、鈍感な自分にも気付く。
否、これは別のことでもあるんだけど。
ずっと、ずっと、ごまかし続けてきたことがあった。それが、限界を超えたように溢れて、気がついたらもうそのことしか考えてなくって、他のことなんか思いもよらなくて、溢れるままにぶつけたために、いろんなものが元に戻らなくなった。
そのことについては後悔しきりだが、10年越しに気付いた思いを否定とかはしたくなくて。
痛い痛い胸の奥、抱えてもうしばらくは好きなままでいようと思う。その代わりまだ会えない。気持ちを封じてずっと深く沈めてしまえるまで。もしくは完全に諦めてしまえるまで・・・。まだまだ時間はかかりそうだ。
Monthly 2010.01
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