ネタ考えてなかった。

ちゃんと毎日書くように、毎日ブログのネタを探しながら生活してるのだけど、夕方好きな人(仮)に会ったあと別のことばっか考えてたら忘れてた。
恋は人を駄目にさせるのかもしれな、とか、そういう思いはしたくないので、真面目に書きますよ。

小泉八雲の話をしたら、とーちゃんが「ありゃ英国の人やちゃー」と言い始め、聞いていたAVANTIのポッドキャストではギリシャと言っていたので「違うやろー、ギリシャやろー?」と言い返すものの、父、譲らず。
今調べたらやっぱりギリシャだったし!

それはともかく。
小泉八雲はあんまり関係なくて(ないのかよ)、podcastで、日本には幽霊、悪霊、霊魂、魂、怨霊、生き霊・・・・霊ひとつとっても様々な言い方ある、これは他の文化にはたぶん無いんじゃないかな、と言うことを言っていたのが印象的。
名前や言葉と言うのは、それらと密に暮らしていると増えて行くものだと思っている。
例えばアラスカに暮らす人々が「雪」についてものすごくたくさんの名前を持っているといったように。
ただ、目にすることのできる「雪」と言うものに対して名前を付けるのと、目にはっきりと映るわけではない「霊」に名前を付けるのではだいぶ違う気もするが。見えないものに名前を付けるのは、名付けることで制御する、と言う考え方もあるし。
いかん、これはまた今度。
えっと、でも少し。自己分析すると、自分の感覚だって面白いものだと思う。日本の神話なんかほとんど知らないし、敬虔な仏教徒というわけでもないが、ましてやキリスト教を信じているわけでもないけど、神棚にほこりが積もってたら何となくきれいにしとかなきゃな、と思うし、仏さんにお参りしないとなんだか悪い気分になるし、でも聖書がその辺にあったら粗末に扱うのは駄目だなー、って考える。信じてはいないけど、バチが当たったらやだな(とても個人的な感覚かもだけど)ないがしろには出来ない、みたいな。
しかも、「バチ」って、罰と変換されたけど、それともちょっと違う気がするのね。「天罰」とか、罪と罰じゃなくて、もっと「祟り」的なもの、と言ったら良いか。・・・わかります?。
あーん、なんかループしてきた気がするのでこのへんで。
ただ、podcastの恐かった話。
番組プロデューサーのお話を盗み聞きだったのだけど、「(霊的なものを映した)映像テープとか写真とかなくなるとかしょっちゅうでしたよー。心霊写真とかだいぶ減りましたからねー」ん?「それから、インタビューを録音したテープで、肝心の体験談を語っている間だけ、僕の声とか周りの音とかは入ってるのに、話してくれている人の声だけが消えてて、『って言う話なんです、信じてもらえますか?』って言うところから声が戻るの」んん???・・・・もう、説明出来ない不思議なことがいっぱい、と言うお話。。。。夕方に聞くんじゃなかった。。。。
日本は、そういう「もの」が暮らしている土地なのかも知れない、な。そういうものは昔から人間のそばにずっと居て、時折その痕跡を残しながら、またはきれいさっぱり消し去りながら、共存しているのかも知れない。
さて、小泉八雲のwikiを見ていたら、前から気になっていた本のタイトルに出会った。『逝きし世の面影』。偶然は無い、ということで、やっぱり絶対読もう。

Monthly 2010.01

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