ひとりでおでかけ

悪く思うな。やっぱり、考え事をしたい時はひとりっきりがいい。

会社の飲み会?でさんざん飲んで・・・・というほどでもなかったけど。(最低限の意識は保っておかないといけないしね・・・飲んだくれたかった)
そのあと近くのビジネスホテルに泊まり(夜中4時に目を覚ましてみたり)、ふと思いついたら、今日はゴールデンスランバーの公開日じゃん!と思い立ってひとりファボーレへ。
そんななつらつら考えていたこと。



手話への興味
コミュニケーションのひとつの形態。エンジン音のうるさいバスのなか、通路を挟んで反対に座っている男女が手話で話をしているのを見かけた。どちらかと言うと女性の方がたくさん話してて男性のほうは相づちをしているようなかんじだったが。
その様子を見ていたら音を使わないそのコミュニケーションが、とても優れたものだと思えた。
人は言語によって思考しているという。また、手話もひとつの言語だと聞いたことがある。生まれたときから音が聞こえず、手話によって会話している人がいるとしたらそれは、手話という言語によって思考しているということになるのだろうか。
そんな人の目に映る世界はどんなだろうか。

見て楽しいものと暮らしやすさは別。
インテリア雑貨を見るのが好きだ。欲しいと思うものもある。ただ部屋が狭いし買おうとは思わないけど。見て楽しいものはいざ使ってみると残念なものがある。
ただし、最低限見る楽しさがないものはいらない。このあたりが難しいところだ。

車ってなんであんなに偉そうなんだろ。
車が、というわけではないのかも知れないのだけど。最寄り駅からてくてく歩く帰り道、後ろから来た車に何度もクラクションを鳴らされた。あたかもそれが「ここは車の道だから歩行者は通るな」と言っているように聞こえて腹が立つ。自動車専用道路かここは、人間もチャリもばあちゃんカー引いたばあちゃんだって通るぞ。・・・という話を母にしていたらあんたの考え過ぎと言われて、それもそうか、と少し考え直したのでこの件は。でも、年間1万人が交通事故で亡くなっている。自殺者よりは少ないけど・・・。我が物顔で優先される車、それが当たり前と疑わないドライバ。何が大事なんよ、と思うことがある。あたしはそういうドライバにだけはなりたくない。

共感をすること。
人の意見を聞く時に、どうしても否定から入ってしまう傾向がある。まずは、共感すること。その人が感じることを素直に受け止めて、そうだね、と認めてから違う視点なり、自分なりの思いなりを語るようにしたいな、と思う。と、いうのは、自分がそう思うからだ。共感されないのは、辛い。たぶんあたしの意見とかいつもどっかずれてて、それで自分自身を間違ってると思ってきたような気がしている。
と言うとまたそんなことないとか言われちゃうんだろうけど。
共感することの大事さ。身に刻んでおきたいと思った。
「受け入れられるって嬉しいな、肩の力も抜けていく〜」ですよ。
すれ違うだけしかない、なら、あたしだって生きていはいけないと思う。いつかかするぐらいはするだろうと思ってなんとか暮らしている。

Monthly 2010.01

←整理整頓は苦手。あれもこれも。その他ゴールデンスランバーを観る→
↑Page top| Blog topアーカイブ このブログを購読