えらく上下する

いつものことか。
今日は久しぶりに魚津駅までチャリで走った。きもちいー。
風を感じて、空気の匂いをかいで走るのはやっぱ好きだ。生きてる感じがする。箱にのせられて移動してるのって、なんか違うんだよね。歩いたり自転車の方が好き、しんどくても。
は〜でも、まだかろうじてチャリで走る体力があるから、楽しいとか言っていられるのよねー。気をつけなくっちゃ。せめて歩くのが楽しい!って思えるほどの体力は長く維持していきたいものだわ。

ついったでぽそっと、富山らしさって何だろう、とつぶやいたら、自然とあとは持ち家率とか進学率だって突っ込みが返ってきた。
3000mをちょい超える山々があり、水深1000mの湾がある地形は多分とても珍しいものだ。それ故の海の恵、田畑の豊かさがあるんだと思う。水もきれいだ。
特に海沿いは顕著なんじゃないかな、どこの家も大体井戸水使ってる気がする。経田とかあるくと、そこたらじゅうで水出てるもん。
うちも水道水とかほとんど使ってない。だもんで、たまに山ん家(東福寺野にある家)に行って水使うと、手ガサガサする。東京とか遊びにいってホテルでシャワー浴びると、塩素臭にびっくりする。
ま、井戸水にしても水質調査とかちゃんとやってんのかなーと気になるところではあるが。
あと、立山ね。いつもそこに山がある、っていう感覚は、それをもつ人にしかわからないのかも知れないけど、こう、よその土地に行くと、山がなくて、なんか背中がすーすーするような感覚。わかるかな。
東京方面から帰ってくるとき僧ヶ岳の形を見て「あー帰ってきたな」とか思う感覚とか。山と海で方角を知る感覚とか。
そういうのが恋しくなって、あたしは仙台から帰ってきちゃった感じなのだが。
それから、海。歩いて一分で浜に出る、昔の名残の堤防に座れば海と自分しかない空間が出来上がる。それも、なんか自分の中に当たり前にあって、そういうものが自分から切り離せないと知っていたから戻ってきた。他の土地ではなくて、ここが良いと思ったから。
あたしが死んだら、灰の半分は海に撒いてほしいな。結構本気で
そーいや昔友達が20才になってから、遺書を書いて持っていると言っていた。あれもいろいろと書き方が決まってて、法的に認められるようにするには手順だか必要だったような、と思って聞けば、法的に、というよりも遺志を示すためなのだと言ってた記憶がある。
例えば明日あたしが死んだら・・・。
貯金はみんな家族で使ってくれたら良いな。パソコンのデータも残って困るようなものは無いし。遺しておいてほしいものなんて無いな。そう考えてみると大事なものなんてそう多くない。
痛い痛い胸の奥も、死んでしまえば感じなくなる。
その程度のもんだから、なんとかやっていけるだろう。

Monthly 2010.01

←か〜んぱ〜い!かけらのことここんとこの夜→
↑Page top| Blog topアーカイブ このブログを購読