ようやっと

ADC終わりました。また10月までいろいろと些事は出てくるんだろうけど、とりあえず終わった事にしておきたい。

久しぶりに、本当にきつかった。
ただでさえこのごろ外に向かうのが億劫だったってのに、知らない人と挨拶を交わして、名刺を交換して、なんか気のきいた事を言おうとしたり、慣れてないことをやったり・・・思った以上に疲れていたのか、昨日もバタンキューでした。
今日なんか本当に滅入って人前に出たくない気分満載だ。午前中は片付けに行ってきたけど。昨日一日ゆっくり寝たぐらいじゃ色々回復しないらしい。

結果と言えば、ダブルハートが入賞したぐらいで、まあ、なんとも言えませんな。
それよか、いろいろ考えたよ。
やっぱり、デザインにおいてCIとかVIとか、ロゴとかタイポグラフィの与える力って大きい。大賞もそういうものだったし。
まあ、審査員の好みというか、そういうものにもよるのだろうけれど。
母に「疲れたー」と話していたら、「そりゃ、満足も納得もいかない仕事ばかりしていたら疲れるでしょうよ」と一言で切られる。ばっさり。
結局、母がグラフィックも含め「デザイン」の仕事を辞めたのは、自分が満足いく事がないからだったらしい。「良い」ものなんて人の評価によって違うし、自分が「こっちが良い」と思っていても、クライアントが気に入らなければだめになる。「デザイナなんて満足して仕事されたんじゃ困る」なんて言う。
確かに、そういう一面もある。
結果が見えにくい。自分が作ったもので、クライアントが儲かればそれは「広告」の効果があった=自分の仕事が有意義だった。という図式を肌身に感じる事はほとんど出来ない。
今回ADCで賞を獲ったとして、それとクライアントが儲かるのとは話が別だろうし。注目はされるだろうけどね。
そういう事を思うと、はてさて、ADCで頑張る事にどれほどの意味を見いだせるかな。他のクリエイタから刺激を受けるとか、情報交換が出来るとか?
誰かに褒めてもらうために(ニアリーイコール 賞を獲るために)デザインをするんじゃない。ついついあたしは褒めてもらうために仕事をしがちだけど、多分、そうじゃない。儲からないとビジネスは意味がない。
まあ、ADCで有名になれば、仕事が増えて、結局は儲かるのか。賞を取れば「その人のデザイン」の価値は上がる。そういう風に富山県全体のクリエイタの地位が上がれば「付加価値のある仕事」が出来るようになるのか。同じものならデザインが優れたもの、という購買意欲がノンデザイナにも目覚めるのか。

とにかく、あたしはまだまだ見る目がないなあ、と思った。最終審査に残ったものは、どれもあたしがスルーしていたものだったから。逆に言えば、取るに足らない=当たり前に自然に見えることがデザインの一つの価値なのか。けど、賞って結局「誰か」が決める事。普遍的価値がそこにある訳ではない。まあ、何事もそうなのですが。

デザインで自分が満足いく仕事が出来ないと感じた母は、今はアーティストになっています。もしくは職人か。
芸術は自分の満足と作品に対する評価は始めから離れたところにある。仕事じゃないからクライアントの言う事なんか聞かなくても良いし。もしくは職人なら自分の腕を磨く事だけが全てで、良いものを作る事だけがその人の評価だ。分りやすい。
クリエイタは作る事だけでは完成しない。他にもいろんな事をしなければならない。クライアントとのコミュニケーションをはじめ、プレゼンだの、ディレクションだの、いろんな事をやらなきゃ行けない。そりゃ、大所帯のとこなら分業は出来るけど。うちは無理ですから。
作る人でありたいなあ、本当に。しかも、この先ずっと、死ぬまで作る人でいたい。そのために必要な事を色々考えないとね。

まずは睡眠でしょうか・・・。

Monthly 2008.06

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