『エンジェル エンジェル エンジェル』を読む

またまたまた、梨木香歩さんです。映画『西の魔女が死んだ』が見られなくて残念でなりません。上映日数一週間って、なんでそんなに短いんだ・・・・。
母も見に行きたがっていたが結局叶わなかったらしい。残念。本を読んで下さい。
母に本をあげてもう3年以上たつのに、まだ読んでなかったのか。
梨木さんの本は細々したところで心に引っかかる言い回しが多い。そういうところがハマる理由なんだろうな。

例えば、主人公の女の子が、自分がどれだけ熱帯魚が欲しいか、自分にとってそれがどれだけ必要なのかをいかにして訴えようか考えているところで、親に自分の本当の姿を「知らしめる」という表現がある。普通なら「知ってもらう」とか「理解を求める」とか、そんなニュアンスになりそうな部分で「知らしめる」と表現しているところ(細かいけども)が、響く。共感する。分ってもらうんじゃなく「知らしめる」。
何か叶えたい事があって、自分の事を他人に知ってもらおうとする時の心の動きは、まさに「知らしめる」じゃないだろうか。押し付けるのとほとんど変わらないほど。そしてそれはとても膨大なエネルギーがいる事だとも書いている。本当にそうだ。だから、「知らしめる」事は控えめになる。他人のニーズにその場その場で自分を「合わせて」行く方が、少なくともエネルギーが小さい。
けれど、その八方美人なノリを主人公は嫌ってもいる。しかし、その場に合わせて、少なくともその瞬間は「本心」と思えなかった事も、時間がたって振り返ると、その時に分からなかった本心がひょこっと顔を出した結果のようにも思える、と。
これにも本当にな、と思った。直感と呼べるものなのだろうか、もしくはひらめきか。
もう、とことん上手いと思う。文章の書き方、構成、書評にあった通りになるが、本格推理小説と変わらないほどだとおもう。全てがつながっていく。反物みたいだ、ほつれがない。何より、そういうものを読んでいると、このほころびだらけに見える世界も、実は何かに収斂していく、その可能性があるもののように思えることが、私を引きつける理由なんだと思う。

Monthly 2008.06

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