セイシンてなに?

私たちの心のすべては、私たちの脳のニューロンの発火に伴って起こる「脳内現象」にすぎない。
茂木健一郎『クオリア入門』
精神上だとか、精神の異常だとか、結局それってなんなのさ?と思う。
犯罪者が「精神異常が認められるので減刑」もうなんか、当たり前になってきたこのパターン。
それってどうなのさ、と思う。戦争でもない日常の中で人を殺すような人は明らかに「異常」だ。それを精神鑑定だかやって「この人は精神状態が普通じゃなくなっていたので人を殺しました」ってお墨付きを出して、事によると刑が軽くなるの?それっておかしくないですか?

・・・なんて、書き出しましたが、別に刑や罪について話そうというわけではなく、うーん、「精神」の話。当たり前にこの言葉を使いすぎていて、「精神」とか「身体」とか「心」とか、そう言うもののつながり、関わりをあらためて考えてなくないですか?と言いたい。
精神て、形のないもので、でも人の中だろうが「起きて」いる現象ということは確かで。でもそれを測ったりとか鑑定したりとか、あまり信用ができない。
曖昧だ。曖昧さはどこから来るか、十人十色ということ、見る人によって捉え方が違うものだ。でも、それを言ったらキリが無いのだけど。
心だって、体(脳)の中の「現象」。病気したり風邪を引くのと同じで、心も病気になったり風邪を引いたりする。だって脳に異常があれば、そのひとは性格だって性質だって変えてしまう。体は男だけど、心は女ってこともあり得てくる。
何が言いたいのかだんだんわからなくなってきた。
犯罪の話に結局戻りますが、「誰でもいいから殺したかった」というのが逆説的な「自殺」だと言う見解を聞いたことがある。
自分で自分を殺す勇気がないから、罪を犯すことで自分自身を社会的に殺すということらしい。
脆弱。何がか、「精神」が。ついでに世界も狭い。
自分がくるしい、自分がつまらない、自分に価値がないと思う、自分がつらい。だから人を殺すのか。
全部自分。他人とか周囲の世界とかまったく目に入っていない。だから他人の命も軽い。重いなんて考えたこともない。
ネットの上、というのも同じように感じられてしまう。

何かを置き忘れている感覚。
日に何時間もネットの中で仕事をするというスタイル、もちろん、すべての人がそう言うわけではないけれど。

あー、まだうまくまとまらないや。この辺りで

Monthly 2008.05

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