報道のこと

本当に知りたいことは、自分で見聞きするしかない
誰も教えてはくれないし、自分で体験することがいちばん「真実」に近い気がする。
これも幻想なのでしょうか?

・・・と言いながら「ああだこうだとテレビで言っていた」という台詞をいとも簡単に使ってしまうわたしなので、むしろ戒めとして「自分自身で見聞きすること」を大事にしたいと思うのですが。
報道、またそれに限らずすべての「情報」は必ずどこかで何かの(誰かの)フィルタがかけられてしまっている。フィルタは、ときに膨大な情報の中からピンポイントに重要なものだけを取り出して提示してくれるという点でとても優れたものだ。けれど、それがすべてと鵜呑みにすることは危険。
言葉では嫌というほど聞かされてわかっているのに、ついついやってしまう。

最近テレビを見ているとどこを見ても同じ事件、それもたいていが殺人事件だったり悲惨な、明暗でいえば暗の部分の報道が多くて、つい「世界はどこも暗いな」と思ってしまう。確かに、明るくないのかもしれないが、でももっと、日々を真剣に頑張って踏ん張って生きている人にスポットを当てても良いじゃないか、と思ってしまう。
それができるのがインターネットだ。多分。言い切ってしまうにはまだ自分の知識が足りない。
ブログや書き込みなんかに見えてくる「言葉」はその人自身の「フィルタ」はさけられないとはいえ、生の、そのままの「情報」に近いんだと思う。「今日こんなことがあった」とか、他愛のないものでも。そう言うものが無限にある。
そのなかから実際に目にできるのはわずかだなあ、と思うとやっぱり「フィルタ」付きでも感嘆に情報を得られる方を選んでしまうのだけど。
だいぶ前にとある人が言っていた「何が本当で何が嘘なのか見極める能力」が今本当に欲しい。
報道が全てではないと肝に銘じておきたいです。

Monthly 2008.05

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