タバコのこと

喫煙歴が7年になる。計算が合わないとか言わないように。
吸い始めた時からくらべて、マルボロの値段は40円上がった。欧州を旅行した時、行く先々でマルボロを買った。値段も様々、タール量も値段も様々だった。いちばん高かったのは、オランダだったかな、安かったのはイタリア。それでも日本より高かった記憶がある。
これからタバコが安くなることはないだろう、なんていう話を父としていて「500円ぐらいになったらやめるな」と思った。
それでも月額1500円ほど、一ヶ月に買う本代の・・・1/3以下。外食に使うお金の1/4以下。
やめ・・・なくてもいいかな?

でも、そのタバコ代を本代にまわしたら、2〜4冊多く買えるわけで、ランチだってちょっと良いのが食べられる額だ。
死ぬまで吸いつづけるのかと聞かれれば答えはもちろん「否」、ただ、明日からやめるのかと言われればそれも「否」だと言う。
父は一日に2箱は吸っていたヘヴィースモーカーだった。過去形。娘のわたしがタバコを吸い始めた頃、50歳になる前にきっぱりとやめた。あの兄も子供ができてやめたらしい。じいちゃんは死ぬまでタバコを吸っていた。
家の中では喫煙者もなく、家族ももちろんわたしの喫煙を肯定しているわけではない。ただ父だけは、ちょっと甘いのか、1日2本という少ない量なら、と許容している。そのことに正直甘えているのだが。

タバコを吸う時はたいてい独りだ。のぼり行く煙を見つめながらぼんやりと考え事をする。とりとめもない思考、時間。その一日数分の時間が、わたしには多分必要だ。煙で曇る分、何かがクリアになる。それは幻想でしかないのだけれど。

5年後には食料危機が来る、そう警告する人がいる。それは大変だ、何か手を講じなければならない。けれど、結局わたしの思考は明日の会社のこと、このあと数時間の過ごし方、そう言うものに向かう。
短期的、短絡的な思考はいつも親にたしなめられている。
それは先を生きているものの視点で、わたしには真を持って迫ってこない。たぶん、まだ、無理。
ただ、問いかけることはやめたくないと思う。「このままで良いの?」
この先自分がどういう人間でありたいか、そのビジョンがわたしにはない。日々を大切に生きたいと願う気持ちがあるだけだ。もっと作る人としての自分を確立させたいと思うだけだ。
その先が見えない、どうなりたいのだろう、自分は。
考え続けることだけは、放棄したくないと思う。

Monthly 2008.05

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